福沢諭吉の激怒-3

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

1. 福沢諭吉の激怒-3

それは、三年前の明治二十八年(一八九五年)に終決した日清戦争での黄海沖海戦における格段の戦功によるものだった。
木村浩吉は海軍大尉、水雷長として旗艦松島に乗り組み、めざましい働きをした。
この黄海海戦の勝利は、明治期の日本海軍が既に『戦闘海軍』の域に達していることを全世界に明確に示したものだった。
長い鎖国の時代を終えて開国した日本が、外国に充分に伍していけるという自信を日本国民に鮮烈に植えつけることになった歴史的な快挙でもあった。

福沢諭吉は、応接室の重厚な椅子に病み上がりの体を静かにあずけ、満面に笑みを浮かべ、恩人木村芥舟の子息の手柄を気負いのない平らな気持ちで悦んだ。
「めでたい。めでたい。御尊父様も大変お喜びのご様子でした」
福沢は、麻痺が残る大柄な体を無理に前に乗り出すようにして、海戦勝利の詳しい様子を興味深げに聞き出そうとした。
かねてから福沢諭吉は、清国を中心に成り立つ前近代的な東アジアの秩序を打ち砕き、文明思想を打ち立てるべきではなかろうかと、考えてきた。
それは、日本に接する朝鮮半島を清国の影響から排除し、朝鮮半島を近代化させて、半島が欧米や帝国ロシアの植民地になることをくい止め、これによって日本の安全保障を図る必要があるという思いからだった。
福沢は、この目的実現に近づくための重要な戦争と捉えていた日清戦争(明治二十七~二十八年戦役)の勝利を心から喜び、木村浩吉の戦功を褒め称えようとした。
ところが、木村浩吉は、福沢が望んだ話に応じようとせず、深く思いつめてきた別の話を切り出した。
この話をすることが、木村浩吉が福沢諭吉を訪問した真の目的だった。
木村浩吉は、突然、福沢の前に直立不動の姿勢で立ち上がり、深々と頭を垂れた。
そして、顔を伏せたまま、意を決した口調で話し出した。
「福沢先生には、長い間、我が木村家にいろいろと経済のご支援を賜り誠にありがとうございます。父に代わり、厚く御礼申しあげます」
幸い私も戦功により大尉より累進して中佐となりました。これで、私どもも生活の安定を得ることができるようになりました」
木村浩吉は、海軍軍人としての思いの丈を、はっきりと口に出して言った。